くり返す弄便(ろうべん)に身体拘束が議論される中、施設長の出した「決断」とは/科学的介護の実現
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業種
介護福祉施設
- 種別 レポート
私は施設長を任されてから、事あるごとに職員に伝えてきた。利用者が「ここに入れて良かった」と思えるような特養を目指そう。
これは当然のことかもしれない。しかし現実には、介護の現場は利用者の「問題行動」で右往左往する日々だ。困難事例の解決に追われて、後ろ向きな介護しかできていないのが、当施設の実情だった。
ある日、ついに壁に直面する。困難事例にうまく対応できず、ご家族からのクレームに発展してしまったのである。
私は悩んだ挙句、噂に聞いていたクオリティマネジメント研究会に参加することを決意。すると、私たちを苦しめてきた困難事例が、わずか2週間で解決してしまったのである。
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介護の質で差別化するはずが、委員会が紛糾
「介護の質向上委員会」これは、施設長の私が肝いりで立ち上げた当施設の切り札である。
当施設は、介護保険開始前から運営されている老舗特別養護老人ホーム(特養)。しかし、近隣に新規の特養が設立され、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)も乱立し、差別化しなければ立ち行かなくなっている。
料金面ではサ高住に太刀打ちできない。かといって高級感あふれる施設にリニューアルする余裕もない。施設のウリを明確にして、他の施設との違いを明確に打ち出して選んでいただくしか道はなかったのである。
悩みぬいて出した結論が「原点に返る」こと。つまり介護の質にこだわったサービスを提供することだ。介護サービスそのものを当施設のウリとして、同業他社と真正面から勝負しようと決意したのである。
このようにして立ち上げた「介護の質向上委員会」だが、いまそこが、大いに紛糾しているのだった。
山下さん(アルツハイマー型認知症)のケース
- 山下さん(仮名)、92歳女性、要介護度4
- アルツハイマー型認知症・うつ病
- 夜間オムツ対応。便のあるないにかかわらず、弄便とオムツ外しをくり返す。
「介護の質向上委員会」で紛糾しているのが、山下さんのケース。弄便(オムツの中の便を直に触ったり、その手で他のものを触れたりしてしまうこと)する利用者のケースにどう対応するかだった。
山下さんは、職員が誘導さえすれば歩いてトイレに行ける方だ。しかし、低カリウム血症から足元が不安定な場合があったり、フロセミド服用により排尿が多いことから、夜間は安心のためにオムツ対応をしている。
しかし、夜間のオムツはずしと弄便があり、深夜に訪問すると覚醒していて、オムツが外され、手が便で汚れているということが繰り返されている。
委員会がかつてない喧騒に包まれているのには、理由があった。この山下さんの事例について、解決策を明確にするようにいつになく迫られていたからである。
長女が目の当たりにした母の姿
実は山下さんは、風邪症状で発熱があり、ここ1週間ほど寝込んでしまっている。足元が不安定な様子から、特例として日中でもオムツ対応を行っていた。
お見舞いに来たご長女が居室に訪問したところ、布団から壁から便まみれになっている山下さんの様子を発見してしまったのである。
もちろん、夜間の弄便の状況についてはご家族にも報告をしていた。しかしキーパーソンであるご長男にはお伝えしていたが、ご長女には直接伝える機会がなかった。
何より、弄便は見ると聞くとではインパクトが全く違う。直に目にしたご長女が感情を昂らせてしまったのは、ある意味仕方のないことだった。
つまり、クレーム案件となってしまったのである。
介護の質を高めるどころか、逆行を始めている恐怖
「介護の質向上委員会」では、弄便の対策が長時間にわたって議論された。しかし、 効果的な解決先は見出されなかった。
やむを得ず、山下さんがオムツ外しをして弄便をしてしまうタイミングを見計らって職員が訪問。速やかにオムツ交換をする。声掛けをしてオムツ外しをしないように促す。人海戦術で対応することになったのである。
しかし、この対応は何の解決にもならないどころか、状況を悪化させてしまったのだ。
夜勤者が山下さんを訪問すると、夜間覚醒してオムツを外してしまっているという状況が散見された。その都度オムツを直す。
しかし排便のタイミングは毎日ではないし、同じ時間帯でもない。いつ来るものとも知れぬ排便のタイミングを逃さないために、職員たちは夜間の訪問頻度を多くした。
すると山下さんは眠りが浅くなり、オムツを外すことが多くなり、夜勤者の巡回の負担がさらに増えた。もはや悪循環に陥っていた。
いよいよ最後の手段が論じられるまでに至っていた。身体拘束実施の議論である。
夜間に限り拘束衣(自分で脱ぐことのできないつなぎ服)という言葉が、職員から普通に聞かれるようになった。私はこの委員会が、介護の質を高めるどころか、むしろ逆行を始めていることに恐怖を感じるまでになっていた。
とりあえず、その場は身体拘束案は保留として委員会を打ち切った。
そして事務室に戻るや否や、私はいざという時のためにファイリングしていた一枚の案内を引っ張り出した。「クオリティマネジメント研究会」の案内である。
ケアのPDCAサイクルを回すことで入居者様の容態の改善を促します。
研究会ではP(Plan)の部分を実施します。D(Do)・C(Check)・A(Action)の部分は研究会でレクチャーした内容をもとに法人内で実施していただきます(個別面談によるフォローあり)。
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介護の品質が高まり、困難事例の解決につながったという事例が紹介されていた。私は思い切って、チラシに記載された番号に電話をしたのだった。
探していたマネジメントの手法がここに
研究会は月に1度の開催だった。
初月はクオリティマネジメントの理解、取り組むべき方向性についての学習。
どのような不可解な困難事例にも必ず何かしらの原因がある。その根本にアプローチすることで解決を目指す、いわば科学的介護の実践の場ということだ。
客観的に情報収集を行い、考えられる仮説を立て、その仮説を現場で検証する。検証結果を振返り、成果の有無により次なる仮説を立てて検証をする。このサイクルを通じて、目指すべき成果を出す仕組みのことを指すのだと説明された。
つまり、対処療法ではなく、根本原因を探るプロセスだ。薬や器具などによる症状の封じ込めをよしとしない。
私が求めていたのは、まさにこの取り組みだ。しかし、山下さんの事例は、果たしてどう解決できるのか…。
ほぼ毎日の弄便が、たった2週間で解決
2ヶ月目、私たちは研究会の場で、山下さんの事例を検証することにした。この1ヶ月で集められた情報から、仮説を立てるのである。
情報収集に1ヶ月かかったのは、介護記録用紙とその使い方を一新したためである(総合記録シート)。必要な情報が目的意識をもって記載されるように、記録の取り方からアドバイスを受けた。
検証の結果、山下さんは弄便をしようとしていたのではなく、あくまでもオムツ外しをした際に便に触れてしまったという状況だったのではないかと仮説が立てられた。
研究会の宮島プロデューサーからは、オムツ外しをしたくなる主な原因としては、搔痒感が考えられる。仮にそうだとすれば、かゆみを軽減させれば、オムツを外すことがなくなり弄便もしなくなるのではないか。
搔痒感の原因としては、服薬中のドネペジル塩酸塩(アルツハイマー型認知症治療剤)の副作用が考えられるのではないか。そこで、看護師からは医師に確認してみたところ、アルツハイマー型認知症の症状を抑制する薬を減薬するリスクは大きいとのことだった。
そうであれば、次に取り組めるのは陰部のかゆみをおさえることだ。不衛生を軽減させるために、夜間のオムツ交換時は陰部洗浄と軟膏塗布を行うことにした。
また、陰部以外の部位の掻痒感が、陰部の掻痒感を誘発することも考えられる。そこで、全身のスキンケアを取り組むことにした。乾燥肌の対策として加湿器を稼働させ、就寝前の全身の軟膏塗布も実施した。
結果は…火を見るよりも明らかだった。最初の1週間で、弄便が見られたのは一度だけだった。2週間目にはオムツ外し自体がなくなり、弄便も見られなくなった。
1か月どころか2週間で、弄便という困難事例が解決してしまったのである。
本当の意味で特養が目指す目標
山下さんの事例は、まさに目からうろこだった。私だけでなく、職員たちからも感動の声が上がった。それに、現場の負担も激減した。
職員の関心とモチベーションは急速に高まった。解決すべき困難事例はいくつもあるし、このような取り組みを続ければ、現場が独自の仮説と検証で解決できるようになるはずだ。そのような体制にしていきたいと、皆が思うようになった。
私たちのケースでは、クオリティマネジメント研究会で困難事例がたちどころに解決した。ただ、それが研究会の本当の意義ではないと、私は考えている。
介護サービスの質の本当の意味、目指すべき方向性について現場職員が気づき、考え、答えを出そうとし始めている。職員の気持ちがこれほどにまで変わるきっかけとなったことが、私にとっては、ほかに代えがたい喜びだった。
この積み重ねの先には、私が常に目指している「利用者が本当の意味で喜んで使うことのできる特養」の実現が、きっとあるに違いない。
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