2019.10.20
創業経営者である理事長の前で、私の額には汗が噴き出しました
株式会社 日本経営
太田昇蔵
私は前職で民間病院の医事課に勤務していました。
大規模なグループ病院で、在籍中は医事課の一スタッフでしたし、理事長は文字通り「雲の上の存在」でした。
ですので日本経営に転職後も、「何か一つでも貢献がしたかった」「いつか理事長にもご助言できるようになりたい」という想いが常にありました。
転職後、私が任されたのは、医療情報システムのサテライトショールームの責任者(オープニングスタッフ)です。
管理職もなく社員2名、準社員1名、アルバイト1名。
このサテライト拠点の責任者として、私は日夜、ショールームへの集客のために走り回っていました。
しかし、3年後、私が29歳のとき、ビジネスモデルが大きく転換することになります。
事業閉鎖が決定したのです。
幸いにもショールームは他社に譲渡が決まり、私を除く他のスタッフは事業譲渡とともにそちらに転籍することになりました。
日本経営に残ったのは私一人。
「私の力不足で拠点を撤退させてしまった」「同僚を他社に売り渡してしまった」
強い後悔が、私の中に残りました。
コンサルティング部門に異動した私には、その後、リベンジの機会が与えられます。
今度はコンサルティングの拠点としてオフィス開設に携わることになったのです。
一度撤退した経験があります。もう二度と失敗することはできません。
悲壮な決意でした。
上司と相談し、オフィス開設記念セミナーを開催しました。コストをかけられず、受付には私の妹と妹の友人にもお願いしたりもしました。
手作り感満載のセミナーでしたが、たくさんの方がご来場くださりました。
ご参加者の方々の中には、ショールーム時代の旧知の方々の顔もちらほらとあります。
私は、涙が出そうになりました。
私はいよいよ、古巣である元の職場の直属上司であった事務長に、職員アンケート調査「ESナビゲーター」をご案内しました。
転職してから、7年が経過していました。
事務長は快く応じてくださり、ESナビゲーターによる「組織活性度の要因分析」を実施いただけることになりました。
分析報告会当日、私は理事長もご参加されると聞かされます。
「あの、雲の上の人であった理事長が!」
大規模病院グループの創業経営者である理事長の前でのプレゼンに、私の額には汗が噴き出しました。
「今から職員アンケート『ESナビゲーター』の分析報告会を始めます」
すると、すかさず理事長から鋭く、「ナビゲーターとは何か?」「一言で言え!」
咄嗟に私の口をついて出た言葉は、「水先案内人です」という一言でした。
理事長はそれで納得くださったようです。その後の分析報告は、頷いて聞いていただけました。
分析報告会の席では、理事長だけでなく、事務長はじめ以前お世話になった上司・先輩の方々が同席くださっていました。
私は汗だくになって、報告会を終えました。
ESナビゲーターの分析結果を踏まえて、その後、グループ4病院での医師人事制度構築をご支援させていただけることになりました。
また、法人の大規模なプロジェクトにも携わらせていただきました。
古巣に、なんとかご恩返しをしたいと思っていた私です。
しかし、そうではありませんでした。
かつて味わった強い後悔。そして、多くの方々に支えられて、支えられて、いまの私がある。
沢山のご縁に支えられて乗り越えてこられたことへの感謝の気持ちが、私の中に、強く焼きついています。
メッセージの執筆者
民間急性期病院の医事課を経て2007年、日本経営グループに入社。医療情報システム導入支援、医療関連企業のマーケティング支援を経て、グロービス経営大学院MBAコースを修了。現在は、病院経営コンサルタントとして医師人事制度構築支援・経営計画策定支援、役職者研修などに携わる一方、後進の育成を担う。 |
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